大判例

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東京高等裁判所 昭和52年(ネ)804号 判決 1978年10月12日

控訴人

関東商事株式会社

右代表者

桜井忠

右訴訟代理人

増田弘

被控訴人

荻原晃

右訴訟代理人

野島豊志

新壽夫

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一①、及び④の土地が桜井勁の所有であり、③の土地が桜井清左衛門の所有であつたこと、これらの土地につき被控訴人主張の日に永昌貿易との間に売買契約が締結されたことはいずれも当事者間に争いがなく、<証拠>によれば、勁及び清左衛門の父桜井糾は、昭和三五年一二月二四日右両名の代理人として、①ないし④の土地を永昌貿易に代金一一八万一七〇〇円で売却し(もつとも、永昌貿易は、このころゴルフ場を建設する目的で、この付近の土地を一律に一反歩当り五万円の価格で買収する方針のもとに各所有者と交渉を進めていたが、桜井糾は、この価格では売渡しに応じなかつたため、名目上の価格を一反歩五万円に相当する四五万四五〇〇円とし、その余の分は①ないし③の土地に生立する栗の補償金(ただし昭和三六年三月末までは売主側において他の土地に移植することを認める。)とした。)、永昌貿易は、右代金を六回に分割し、昭和三六年三月一五日までにいずれも糾に支払つて完済したことが認められ、<る>。<証拠判断略>

二次に、<証拠>によれば、永昌貿易は、かねて茨城県筑波郡谷田部町にゴルフ場を建設すべく、土地の買収を進めていたが、被控訴人に対しても同人所有の同町大字五十塚前の山林約九反歩の売渡しを求めたところ、同人は適当な代替地があればこれに応ずる意向を示し、①ないし④の土地(合計約九反歩)を右代替地にあてることを了承したので、永昌貿易は前認定のとおり桜井糾から右①ないし④の土地を買い受けると同時に同日被控訴人との間に右土地と被控訴人所有の前記山林とを交換する契約を結び、その後右糾、永昌貿易及び被控訴人三者合意の下に①及び④と②の土地については昭和三六年一月二六日、③の土地については同年二月二二日それぞれ中間者永昌貿易を省略して勁及び清左衛門から直接被控訴人に所有権移転登記が経由され、なお、④の土地はそのころ被控訴人に引き渡され、以来同人がこれを占有していることが認められ、<る>。<証拠判断略>

(なお、上記所有権移転登記経由の事実は当事者間に争いがない。)

三控訴人は、上記認定の売買契約当時本件土地は農地であつたところ右土地の譲渡については農地法所定の知事の許可がなされていないので、永昌貿易ひいては被控訴人は、本件土地の所有権を取得していない旨主張するのに対し、被控訴人は当時本件土地は農地ではなかつた旨抗争しているので、まずこの点について検討する。

<証拠>によれば、本件土地(登記簿上の地目は山林)は、桜井糾がその養父から相続したものであるが、昭和二八、九年ころ糾やその家族らがここに栗を栽培するため、それまで山林であつた本件土地の樹木を伐採したうえ栗の木を植え、その後数年間は、右栗の間に陸稲や落花生を栽培していたけれども、その後本業である清掃業の仕事に追われ、秋に栗の実の収穫はしたものの、除草や肥培は殆んど行わなかつたため、前認定の売買及び交換契約成立当時は、植栽後七、八年を経た栗の木が生立しているほかは一帯に雑草や篠竹が密生繁茂する状況を呈していたこと、そのために買主の永昌貿易や売買のあつせんにあたつた塚田一正らは本件土地が農地であるとは考えずに契約を締結したものであることが認められ、<る>。<証拠判断略>

右の事実によれば、本件土地は昭和二八、九年ころ肥培管理が施され栗畑とされたものであるから、その後において本件土地の右使用目的が廃止され、又は耕作以外の目的は終局的に転換されたものと認めるべき客観的事情が存しない限り右土地は依然として農地法上の農地たる性質を失わないものと解せざるをえないところ、前記認定によれば、本件土地は、前記売買及び交換契約締結当時には、当初植栽した栗の木のほかは地上一面に雑草や篠竹が繁茂し、あたかも栗畑から荒地に変つてしまつたような観を呈していたけれども、それは専ら人手不足による管理不十分のためであつて、使用目的の廃止ないしはその変更のためにとられた措置の結果ではなく、所有者(ないし管理者)はなお当時まで栗の実を収穫する等として不完全ながら栗畑としての利用を継続していたのであるから、本件土地は上地各契約当時はなお依然として農地であつたと認めざるをえない。もつとも、本件土地の所有者に代つてこれを管理していた糾は、本件土地の栗畑としての使用の継続自体はこれを断念し、非農地として利用されることを見越して永昌貿易にこれを売却し、更にその際地上に生育していた栗の木を他の土地に移植すべきことをも申し出たことは前記のとおりであるけれども、かかる所有者ないし管理者についての単なる主観的な意図ないし目的の変更のみによつては直ちに当該土地の農地性を失わしめるものでないことはいうまでもないところである。

そうすると、本件土地は前記売買契約及びこれを前提とする交換契約締結当時は農地であり、右各契約につき知事の許可がなされていないことは当事者間に争いがないから、被控訴人は右各契約締結によつて当然に本件土地の所有権を取得することはできずこの点に関する控訴人の抗弁は理由がある。

四そこで進んで被控訴人の再抗弁について検討する。

1  <証拠>を総合すると、次の事実が認められ、この認定を左右する証拠はない。

(一)  本件売買契約及び交換契約に基づき、④の土地は前記のように被控訴人に引き渡されたが、本件土地は当時被控訴人に引き渡されることなく、また売主側において昭和三六年三月末日までに地上の栗の木を他に移植することもなくそのままの状態で推移し、昭和三七年ごろ一時被控訴人が栗の実を収穫したこともあつたが、大抵は桜井側において収穫を行い、これに対し被控訴人は、永昌貿易に対して本件土地の引渡しを催促していたものの、桜井側に対しては被控訴人がかつてその小作人であつたこと等の理由で直接要求や抗議等をすることもなかつた。

(二)  控訴人は清掃業(し尿処理業)を営むため桜井糾が中心となつて設立した同族会社であるが、かねてその本店所在地(代表者桜井糾の住所)近くにし尿投棄場(地表から三、四メートルの穴を堀つたもの)を設け、これに集めてきたし尿を投入していたが、付近住民の苦情や保健所からの勧告があつてこれができなくなつたので、昭和四六年初めころ土建業武井実に依頼してブルドーザーで本件土地を全面にわたつて十数メートルおきに幅員約一〇メートルの八つの溝を穿ち、その土を溝と溝との間に積み上げて畔状にし(畔の上部と堀の底部との深さは1ないし1.5メートル位)、右八条の溝の中に集められたし尿や近くのビール工場から出る絞り滓(汚泥状のもの)を大量に投入した。そしてこれに雨水なども加わつて沼ないし池のような状況を呈したこともあり、このような状況はその後昭和四七年二月本件土地につき現状変更禁止の仮処分(債権者は被控訴人、債務者は控訴人)の執行がなされた当時まで継続した。他方本件土地上にあつた栗の木は、右堀を穿つ工事によつて畔の位置にあつた一部を除き大部分が撤去され、その後畔の部分に新たに栗の木が植えられたが、前記のとおり幅員約十メートルの堀がある関係上本件土地一帯に栗の木が植栽されていた当時とは全く一変した状態となつた。

2  右1の(二)において認定した事実によれば、控訴人は本件土地に大きな堀を穿ち、畔の部分を除いて殆ど全面にわたつて大量のし尿等を投入し、そのために本件土地はそれまで栗畑としての面影を残存していた状態とは一変した状態となつたのであつて、右の状況の変化や土地の土質、地形等からみると、これを作物の栽培に適する状態に復帰せしめることは、不可能とはいえないまでも多くの労力と費用を要し、事実上極めて困難な状況となるに至つたものとみるのを相当とすべく、しかも、上記認定の諸般の状況に照らすときは、本件土地の右のような使用状況の変化は決して一時的な現象ではなく、控訴人ないしは当時その代表者であつた桜井糾において相当長期間にわたり本件土地をし尿等の投棄場所として使用するとの意図に基づくものであつたと推認されるから(もつとも控訴人は前記のとおり仮処分の執行によつて以後の投棄は不可能となつた、)、これらの点をあわせ考えると、本件土地は、昭和四六年末ころには、もはや客観的に農地としての性質を失うに至つたものと解するのが相当である。

この点について控訴人は、前記のとおり堀を穿ちし尿等を投入したのは土壌の改良のために肥培の方法としてしたもので農地としての効用を高めるためのものであると主張し、<証拠>中にもこれに副う部分があるが、本件土地について加えられた形状変更の規模態様、投入されたし尿の量等の事実と対比し、その他<証拠>をあわせ考えると、右証言部分は信用できず、他に右主張を裏付ける証拠はない。

3 そこで本件土地につき生じた右のような変化が本件土地の前記売買契約及びこれを前提とする交換契約の法律効果にいかなる影響を及ぼすかについて考えるのに、農地の所有権を譲渡する契約が農地法所定の知事の許可がないため法律上の効力を生じない場合、その後契約の対象土地がなんらかの理由により客観的にその性質を変じ、非農地となるに至つたとしても、これがために当初効力を生じなかつた契約が常に当然に有効となり、契約所定の法律効果を生ずるものとすることはできないけれども、右契約の趣旨、目的、その履行の状況、その後の推移、当該土地が非農地化するに至つた理由及び事情等に照らし、右非農地化した時点において当初の契約の法律上の瑕疵が治ゆせられたものとしてその段階で契約の効力の発生を認めても、農地法が農地の権利移転について行政庁の許可を要するものとした趣旨目的に反することがなく、かえつてこれにより当事者間の公平と法律関係の安定に資すると考えられる場合には、これを肯定するのが相当というべきである。これを本件についてみると、前記認定事実によれば、本件土地につき売買契約及び交換契約が締結された時から本件土地が前記のように非農地化するに至つた時まで約一〇年の長年月が経過してはいるが、右売買契約及び交換契約は、各その締結当時農地売買としての知事の許可の必要性についての意識がないまま当事者間では有効に成立したものとして売買代金の授受、所有権移転登記がすべて完了され、ただ本件土地の引渡しのみが前記認定のような特殊の理由によつてその実行が遅延したままの状態で推移してきたものであること、そしてこの間において、本件土地の売主である桜井側において、本件土地が農地で知事の許可がないから売買契約が無効であると主張したことも(むしろそれなら売主として知事の許可を申請する手続に協力する義務があるはずである。)、あるいはそれを前提として契約解消に伴うすでに履行ずみの行為の跡始末の措置等をとろうとした形跡も窺われないこと、他方本件土地がし尿等の投棄によつて非農地に変化したのは、前記のように専ら売主である桜井側の意思によるものであり、被控訴人の全く与り知らないところであること等の諸点に照らすときは、前記本件土地の売買契約及びこれを前提とする土地交換契約につき知事の許可を得なかつた法律上の瑕疵は、本件土地が前記のように客観的に農地たる性質を失うに至つた時点において治ゆせられたものとして、なんら農地法の趣旨目的に反するものとはいえず、しかもそれが当事者間の公平と法律関係の安定をはかるゆえんであるとみるのが相当というべきである。それ故、前記売買契約及びこれを前提とする交換契約は、いずれも右の時点において効力を生じ、本件土地の所有権は、売買により桜井勁及び桜井清左衛門から永昌貿易に更に交換により永昌貿易から被控訴人にそれぞれ移転し、被控訴人は現在本件土地の所有権者であるといわなければならない。

五前四の1、2の事実によれば、控訴人が本件土地を占有していることは明らかである。

六以上のとおりであつてみると、被控訴人が控訴人に対し、本件土地の所有権に基づいてその明渡を求める本訴請求は理由があるから、これを認容した原判決は相当であり、本件控訴は理由がない。<以下、省略>

(中村治朗 高木積夫 清野寛甫)

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